2011年3月20日日曜日

3・11大震災の記録

「東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災,東日本大震災)」
発生から現時点までの記録。

2011年3月11日(金)14時46分過ぎ頃
 職場がゆらゆらと揺れ始める。横揺れ。だんだん大きく揺
 れるようになり、しかも長い。いつもの地震とは明らかに
 規模が違う。職場の女性社員にビルから出るよう促し、一
 緒に階段で下りる。しかし女性社員は避難は不要と思って
 いるのか、あるいはビル内に留まった方が良いと思ってい
 るのか何かモタモタしている。「早く、早く」と促しなが
 ら急ぎ階段を下りてビルから出る。外には比較的低い建物
 にいた人たちも含め、多くの人たちが出て来ていて、「大
 きいですよね。長かったですよね。ん、まだ揺れてる。ど
 こで(地震が)あったんですか?」などと話している。そ
 こで10分ほどが経っただろうか、揺れが収まったようなの
 で会社ビル4階に戻る。直ぐに社員に震源地や地震情報に
 ついて収集させる。社員も動揺しているのか、いつもなら
 Yahoo!などのトップページで直ぐに分かるのに、「あれ?
 あれ?」などと言っている。ようやくNHKのページだった
 か、東北地方が震源の地震で、しかも「大津波警報」が出
 ていることが分かる。そうこうしているうちに、また少し
 大きい揺れが何回か起きる。

2011年3月11日(金)15時15分頃
 ふと気付くとパート社員の帰宅時間が過ぎている。しかも
 津波警報が彼女の娘さんの下宿先である名古屋方面にも出
 ていることが分かり、「このままで(後片付けは)いいか
 ら、直ぐに帰るように」指示するが、余震が続いているに
 も関わらず、いつも通り机の周りを片付けている。ビル外
 への避難の時といい、僕の指示というのはなかなか伝わら
 ない、聞き入れて貰えない。情けない。電話は繋がらない。
 ケータイのメールに家族などからメールが入り始める。

 *9・11アメリカ同時多発テロの時、世界貿易センタービル
  にいた親戚の知り合いの男性が、階段を駆け下りて避難
  し無事だったという話しを聞いているので、今回もビル
  が崩れる前に外に避難しようという意識が働いた。ただ
  このことが、こういう行動が正しいことだったのか、今
  でも分からない。しかし、緊急時(だけではないだろう
  けど)に僕の指示は社員には聞いて貰えないことは分か
  った。数日経ってから、ある社員が「ビルが崩れる前に
  逃げた方がいいですよ」と言っていた。

2011年3月11日(金)16時30分〜
 地震発生以降、相変わらず余震が続き、その度にビルがゆ
 らゆらしている。怖くて気持ちが悪い。取りあえず荷物を
 まとめ、ケータイを充電し、上着を着て階下の空いている
 デスクで、USTREAMの映像を見ながら仕事を続ける。チ
 ャットの方で、阪神・淡路大震災だったか、震災経験者と
 いう人が、今現在、電気や水道が使えている人はご飯を多
 めに炊いておくようにというアドバイスを流してくれたの
 で記憶しておく。外出している社員の確認、業務の確認も
 出来たが、明日の業務に影響は必至であろうことが予想さ
 れ、役員などと当座の対応を確認。

2011年3月11日(金)19時00分〜
 いつもより早めの帰宅。ニュースでは津波による被災地の
 惨たんたる光景を伝えている。車が、船が、家が、田畑が、
 あらゆる物が流されていく。目の前の映像が、実際にこの
 日本で起きていることなのか、本当に信じられない。まさ
 に想像を絶する光景。一体これからどうなるのか。こうい
 う状況でも家族で夕飯が食べられている。一層感謝をして
 食べなければ。夕飯のため炊いたばかりだが、直ぐに多め
 のご飯を炊いておく。

2011年3月12日(土)7時30分〜
 今日は休みだが、いつもの出勤時刻よりは遅れたが出社。
 やはり思っていた通り、取引先からの物品の到着が一部遅
 れている。早めに出社している社員や、社員の家族の安否
 などを確認してから4階の職場に行きメールなどを確認。

2011年3月12日(土)9時50分〜
 今日は本来なら買い出しに行く日だが、出社したため家に
 電話を入れ、買って帰るものがないかを確認。おそらく皆、
 今日は買い出しに走ることになるだろう。

2011年3月12日(土)11時15分〜
 帰宅。昼食を取りながら、昨晩からテレビで繰り返し放送
 されている津波の被害を見る。家族や同業者の知人から連
 絡が入る。皆一様に「信じられない」。

2011年3月12日(土)15時35分〜
 一応、買い物をして帰宅したが、家族が、非常持ち出し品
 の準備のため買い物に行きたいと言う。家族で買い出しに
 出掛けるが、既にパン、特に乾電池やろうそくなどが全く
 ない状態。レジ前は大行列。スーパーを出て近くにあるコ
 ンビニに行くが、そこでも乾電池やろうそくは売っていな
 い。少し離れたコンビニで単2の乾電池だけが残っていた
 ので購入。ほとんどのガソリンスタンドが混雑していて、
 スタンド前の道には車の列が出来ている。

2011年3月12日(土)17時50分〜
 やはり気になり2度目の出社。取引先からの到着の遅れが
 続いているも、何とか業務は終了出来そう。駅前に小さな
 電気屋があることを思い出し、行ってみるも閉まっている。
 帰宅前に、少し離れた所にもう1軒電気屋があることに気
 が付き行ってみる。まさに今、店を閉めようとしていると
 ころだったが、半分閉まったシャッターから顔を入れて乾
 電池が売っていないか聞いてみる。人の良さそうなおばさ
 んが笑いながら、「単1は残り3本しかないのよ」とのこ
 と。4本欲しいと言うと、1本試しに使ったものがあるか
 ら、それは半額で売ってあげるとのこと。「今日は隣町か
 らも買いに来た人がいたのよ」とのこと。電化製品は量販
 店で。という今までの考え方を反省。街の小売店は電気屋
 さんに限らず、その存在を見直されるべきだろう。夜、九
 州の友人からメールを貰う。こちらの現状を伝える。

2011年3月13日(日)
 今日は一日テレビで地震についての報道を見る。津波の被
 害に加え、福島第一原子力発電所の事故を伝えている。加
 えて明日以降、東京電力管轄の地域をグループ分けして停
 電させる「輪番停電」があるという。これから日本はどう
 なっていくのか。

2011年3月14日(月)4時45分〜
 いつも通りに起床。家のPCは使えている。停電がどうなる
 のか心配。少し早めに出社するが、会社のPCが使えない。
 サーバ管理者が停電を心配してあらかじめ止めたようだ。
 東京電力のホームページに記載されていた停電のスケジュ
 ールなどを確認することが出来ない。家のPCで印刷してか
 ら出社してこなかったことが悔やまれる。今日は停電がど
 うなるのか、朝から社内がバタバタしている。出社して来
 た社員の話しは当然地震一色。昼休み、土曜日に閉まって
 いた駅前の電気屋に行ってみる。実は、懐中電灯用の電池
 は購入出来たのだが、豆電球が切れていて使えない。本当
 に小さな電気屋なので懐中電灯用の豆電球など売っていな
 いと思っていたが、あった。ここでも店番をしていた気の
 良いおばさん(若い店主のお母さん)が直ぐに調べて出し
 てくれた。本当に有り難い街の電気屋さん。豆電球を購入
 していると、リュックサックを背負ったおばあさんが2人
 店に入って来て乾電池が欲しいと言う。お店のおばさんが
 ないことを伝える。今日は7軒回って来た人もいたと話し
 ている。乾電池はもうどこにもない。会社では計画停電に
 備えていたが、結局今日は行われないことになった。ただ
 し、万一に備えて今日は18時で全べてのPCを落とすことに
 なった。帰宅後、徐々に明らかになってきた地震の被害者
 の状況を見る。耐えられない。辛い。

2011年3月15日(火)6時45分〜
 いつも通りに出社。出社後すぐに近くの24時間営業のスー
 パーに向かう。ちょうどパンが搬入されていたので、家族
 分を購入。カップ麺は残り少なくなっている。女性社員と
 パンが買えない状況を話す。彼女は家で自分でパンを作ろ
 うと思ったが、考えていることは皆同じのようで、パンを
 作るための「無塩バター」も売っていないとのこと。会社
 では今日はちょうどリーダー会議の日。会議の資料は昨日
 のうちに大方作成済みなので、地震や停電の情報収集など
 をして業務の準備を行う。会議では各部署から11日の地震
 状況や今後の対応などについて報告がある。今日も計画停
 電は行われなかったが、実施するかどうかの情報がなかな
 か入らず、通常業務に加えて対応に追われる。総務が会社
 の非常時用に月曜日に発注していた乾電池が届く。総務が
 気を利かせて、購入出来なかった社員用としても確保して
 くれた。それにしても、あれほどどこにもなかった乾電池
 が、わずか1日で大量に届いてしまう。あるところにはあ
 るのか、この先は注文した業者の在庫も尽きてしまうのか、
 タイミングというものなのか。分からない。日本テレビで
 は、バラエティー番組が早くも再開されている。様々な事
 情があるにしても早過ぎる。こんな時に笑ってなんかいら
 れない。CMでは、ACジャパンのCMばかりが繰り返し流さ
 れている。

2011年3月15日(火)22時31分頃
 そろそろ寝ようとしていたところに大きな揺れ。11日の地
 震の余震なのか。今度は静岡県東部が震源の地震。地震が
 連鎖しているのか。日本は一体どうなっているのか。どう
 なってしまうのか。離れて住む家族にメールをして安否を
 確認。

2011年3月16日(水)6時25分〜
 今日は早めに出社。出社した社員は昨晩の地震について話
 している。昨日、家で無塩バターが売っていないことを話
 すと、家に使う予定のない冷凍してある無塩バターがある
 ことが分かる。出社した無塩バターを探していた女性社員
 に渡す。11日の地震以来、普通に食事が出来ていることが
 申し訳なく感じられ、昼食に悩む。ただ食べない訳にもい
 かず、セブン-イレブンで「こだわり米の塩むすび」と「の
 むヨーグルト」を買う。このおむすびが本当に旨く、被災
 地ではこのおむすび1個でさえ食べることが出来ないのか
 と思うと胸が詰まる。

2011年3月17日(木)6時45分〜
 出社すると、昨日無塩バターを譲った社員からお返しを頂
 く。困った時は本当にお互い様だ。今日も24時間営業のス
 ーパーを覗くが、今日はカップ麺はゼロ、トイレットペー
 パーも皆無。スーパーの若い店員もどこかイライラしてい
 るような感じ。よほど「おい兄ちゃん、お客様商売なんだ
 から、そんなぞんざいな態度じゃだめだぜ」と言おうと思
 ったがやめる。今日も昼は塩むすびにする。仕事中、家族
 から「北海道のROYCE'(ロイズ)から荷物が届いた」と
 の連絡がある。あぁそうだった。バレンタインデーのお返
 しに、ホワイトデー当日の14日に商品が届くように、2月
 中に手配をしていたことをすっかり忘れている。というよ
 り、14日のホワイトデー自体を失念していた。その手の
 CMなども一切流れず、今回は、スーパーなどでも売り場
 そのものがなかったのではないかと思う。やはり地震の影
 響がこういう部分にも出ている。ROYCE'は14日着で発送
 したのだろうが、3日も遅れての到着だった。ROYCE'か
 らは到着遅れに関するお詫メールが届いていた。さていよ
 いよ今日、計画停電が一部の地域で実施された。会社や自
 宅は回避されたが、明日以降どうなるか分からない。再び
 社内では停電問題で対応に追われる。ACジャパンの仁科亜
 季子親子のCMが3回連続で放送された。同じCMが3回も
 連続で流れるのはちょっと見たことがない。ACジャパンに
 はクレームも来ているという。

2011年3月18日(金)6時30分〜
 今日も早めに出社。いよいよ今日、計画停電が実施されそ
 うな感じ。そう言えば12日以降、スーツとネクタイ姿をや
 め、作業しやすい格好で出社を続けている。停電対応のた
 め、朝から発電機を会社の設備に設置する作業を進める。
 しかし機器が発電機で本当に動くのかどうかは不明。一か
 八かだ。だが準備は出来た。

2011年3月18日(金)9時40分〜
 予定より20分ほど遅れたが、ついに計画停電が実施される。
 停電が始まった時、社内では「おっ」という声。機器は正
 常に動いているようだ。地震以来、社内では節電のため、
 エアコンを止め、不要な電気はつけないようにしている。
 本当に寒くて不自由だが、被災地の人たちのことを思えば
 贅沢は言っていられない。それに社内では、「案外、こん
 な感じでもやっていけるものだね」とか、「今までがいか
 に必要以上に電気を使っていたかだよね」などと話してい
 る。外の電気も信号も全て消えている。外に行く社員には
 交通事故にはくれぐれも気を付けてほしい。停電は予定通
 り、ぴったり3時間で解消された。会社で本当に停電が実
 施されたことで、今週末の3連休の対応を含め、今後につ
 いて打ち合わせを行い、検討する。社内でも決定されたこ
 とが二転三転するので、会社の一番偉い人に意見というか
 文句というか、つまりそういうことをして(言って)しま
 う。あぁ、これでまた評価が。夕刻、同僚に愚痴を聞いて
 貰う。まぁしかし、とにかく予定は決まった。今週は通常
 業務に加え、色々と確認作業などが重なり大変だった。お
 まけに社長には食って掛かってしまうし。かなり疲れてし
 まった。

2011年3月19日(土)9時35分〜
 スーパーの開店時間に合わせて、家族で買い出しに向かう。
 いつもは隣町のスーパーに行くが、暫くはガソリンが足り
 ていないことも踏まえ、近場のスーパーを利用することに
 する。トイレットペーパーは少々高めの物しか残っていな
 かったが、家のストックが少なかったので購入。ガソリン
 はまだ足りているので入れない。「買い占め」は避けよう。

 

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