「東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災,東日本大震災)」発生から現時点までの記録。・
2011年3月11日(金)14時46分過ぎ頃 職場がゆらゆらと揺れ始める。横揺れ。だんだん大きく揺
れるようになり、しかも長い。いつもの地震とは明らかに
規模が違う。職場の女性社員にビルから出るよう促し、一
緒に階段で下りる。しかし女性社員は避難は不要と思って
いるのか、あるいはビル内に留まった方が良いと思ってい
るのか何かモタモタしている。「早く、早く」と促しなが
ら急ぎ階段を下りてビルから出る。外には比較的低い建物
にいた人たちも含め、多くの人たちが出て来ていて、「大
きいですよね。長かったですよね。ん、まだ揺れてる。ど
こで(地震が)あったんですか?」などと話している。そ
こで10分ほどが経っただろうか、揺れが収まったようなの
で会社ビル4階に戻る。直ぐに社員に震源地や地震情報に
ついて収集させる。社員も動揺しているのか、いつもなら
Yahoo!などのトップページで直ぐに分かるのに、「あれ?
あれ?」などと言っている。ようやくNHKのページだった
か、東北地方が震源の地震で、しかも「大津波警報」が出
ていることが分かる。そうこうしているうちに、また少し
大きい揺れが何回か起きる。
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2011年3月11日(金)15時15分頃 ふと気付くとパート社員の帰宅時間が過ぎている。しかも
津波警報が彼女の娘さんの下宿先である名古屋方面にも出
ていることが分かり、「このままで(後片付けは)いいか
ら、直ぐに帰るように」指示するが、余震が続いているに
も関わらず、いつも通り机の周りを片付けている。ビル外
への避難の時といい、僕の指示というのはなかなか伝わら
ない、聞き入れて貰えない。情けない。電話は繋がらない。
ケータイのメールに家族などからメールが入り始める。
*9・11アメリカ同時多発テロの時、世界貿易センタービル
にいた親戚の知り合いの男性が、階段を駆け下りて避難
し無事だったという話しを聞いているので、今回もビル
が崩れる前に外に避難しようという意識が働いた。ただ
このことが、こういう行動が正しいことだったのか、今
でも分からない。しかし、緊急時(だけではないだろう
けど)に僕の指示は社員には聞いて貰えないことは分か
った。数日経ってから、ある社員が「ビルが崩れる前に
逃げた方がいいですよ」と言っていた。
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2011年3月11日(金)16時30分〜 地震発生以降、相変わらず余震が続き、その度にビルがゆ
らゆらしている。怖くて気持ちが悪い。取りあえず荷物を
まとめ、ケータイを充電し、上着を着て階下の空いている
デスクで、USTREAMの映像を見ながら仕事を続ける。チ
ャットの方で、阪神・淡路大震災だったか、震災経験者と
いう人が、今現在、電気や水道が使えている人はご飯を多
めに炊いておくようにというアドバイスを流してくれたの
で記憶しておく。外出している社員の確認、業務の確認も
出来たが、明日の業務に影響は必至であろうことが予想さ
れ、役員などと当座の対応を確認。
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2011年3月11日(金)19時00分〜 いつもより早めの帰宅。ニュースでは津波による被災地の
惨たんたる光景を伝えている。車が、船が、家が、田畑が、
あらゆる物が流されていく。目の前の映像が、実際にこの
日本で起きていることなのか、本当に信じられない。まさ
に想像を絶する光景。一体これからどうなるのか。こうい
う状況でも家族で夕飯が食べられている。一層感謝をして
食べなければ。夕飯のため炊いたばかりだが、直ぐに多め
のご飯を炊いておく。
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2011年3月12日(土)7時30分〜 今日は休みだが、いつもの出勤時刻よりは遅れたが出社。
やはり思っていた通り、取引先からの物品の到着が一部遅
れている。早めに出社している社員や、社員の家族の安否
などを確認してから4階の職場に行きメールなどを確認。
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2011年3月12日(土)9時50分〜 今日は本来なら買い出しに行く日だが、出社したため家に
電話を入れ、買って帰るものがないかを確認。おそらく皆、
今日は買い出しに走ることになるだろう。
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2011年3月12日(土)11時15分〜 帰宅。昼食を取りながら、昨晩からテレビで繰り返し放送
されている津波の被害を見る。家族や同業者の知人から連
絡が入る。皆一様に「信じられない」。
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2011年3月12日(土)15時35分〜 一応、買い物をして帰宅したが、家族が、非常持ち出し品
の準備のため買い物に行きたいと言う。家族で買い出しに
出掛けるが、既にパン、特に乾電池やろうそくなどが全く
ない状態。レジ前は大行列。スーパーを出て近くにあるコ
ンビニに行くが、そこでも乾電池やろうそくは売っていな
い。少し離れたコンビニで単2の乾電池だけが残っていた
ので購入。ほとんどのガソリンスタンドが混雑していて、
スタンド前の道には車の列が出来ている。
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2011年3月12日(土)17時50分〜 やはり気になり2度目の出社。取引先からの到着の遅れが
続いているも、何とか業務は終了出来そう。駅前に小さな
電気屋があることを思い出し、行ってみるも閉まっている。
帰宅前に、少し離れた所にもう1軒電気屋があることに気
が付き行ってみる。まさに今、店を閉めようとしていると
ころだったが、半分閉まったシャッターから顔を入れて乾
電池が売っていないか聞いてみる。人の良さそうなおばさ
んが笑いながら、「単1は残り3本しかないのよ」とのこ
と。4本欲しいと言うと、1本試しに使ったものがあるか
ら、それは半額で売ってあげるとのこと。「今日は隣町か
らも買いに来た人がいたのよ」とのこと。電化製品は量販
店で。という今までの考え方を反省。街の小売店は電気屋
さんに限らず、その存在を見直されるべきだろう。夜、九
州の友人からメールを貰う。こちらの現状を伝える。
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2011年3月13日(日) 今日は一日テレビで地震についての報道を見る。津波の被
害に加え、福島第一原子力発電所の事故を伝えている。加
えて明日以降、東京電力管轄の地域をグループ分けして停
電させる「輪番停電」があるという。これから日本はどう
なっていくのか。
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2011年3月14日(月)4時45分〜 いつも通りに起床。家のPCは使えている。停電がどうなる
のか心配。少し早めに出社するが、会社のPCが使えない。
サーバ管理者が停電を心配してあらかじめ止めたようだ。
東京電力のホームページに記載されていた停電のスケジュ
ールなどを確認することが出来ない。家のPCで印刷してか
ら出社してこなかったことが悔やまれる。今日は停電がど
うなるのか、朝から社内がバタバタしている。出社して来
た社員の話しは当然地震一色。昼休み、土曜日に閉まって
いた駅前の電気屋に行ってみる。実は、懐中電灯用の電池
は購入出来たのだが、豆電球が切れていて使えない。本当
に小さな電気屋なので懐中電灯用の豆電球など売っていな
いと思っていたが、あった。ここでも店番をしていた気の
良いおばさん(若い店主のお母さん)が直ぐに調べて出し
てくれた。本当に有り難い街の電気屋さん。豆電球を購入
していると、リュックサックを背負ったおばあさんが2人
店に入って来て乾電池が欲しいと言う。お店のおばさんが
ないことを伝える。今日は7軒回って来た人もいたと話し
ている。乾電池はもうどこにもない。会社では計画停電に
備えていたが、結局今日は行われないことになった。ただ
し、万一に備えて今日は18時で全べてのPCを落とすことに
なった。帰宅後、徐々に明らかになってきた地震の被害者
の状況を見る。耐えられない。辛い。
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2011年3月15日(火)6時45分〜 いつも通りに出社。出社後すぐに近くの24時間営業のスー
パーに向かう。ちょうどパンが搬入されていたので、家族
分を購入。カップ麺は残り少なくなっている。女性社員と
パンが買えない状況を話す。彼女は家で自分でパンを作ろ
うと思ったが、考えていることは皆同じのようで、パンを
作るための「無塩バター」も売っていないとのこと。会社
では今日はちょうどリーダー会議の日。会議の資料は昨日
のうちに大方作成済みなので、地震や停電の情報収集など
をして業務の準備を行う。会議では各部署から11日の地震
状況や今後の対応などについて報告がある。今日も計画停
電は行われなかったが、実施するかどうかの情報がなかな
か入らず、通常業務に加えて対応に追われる。総務が会社
の非常時用に月曜日に発注していた乾電池が届く。総務が
気を利かせて、購入出来なかった社員用としても確保して
くれた。それにしても、あれほどどこにもなかった乾電池
が、わずか1日で大量に届いてしまう。あるところにはあ
るのか、この先は注文した業者の在庫も尽きてしまうのか、
タイミングというものなのか。分からない。日本テレビで
は、バラエティー番組が早くも再開されている。様々な事
情があるにしても早過ぎる。こんな時に笑ってなんかいら
れない。CMでは、ACジャパンのCMばかりが繰り返し流さ
れている。
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2011年3月15日(火)22時31分頃 そろそろ寝ようとしていたところに大きな揺れ。11日の地
震の余震なのか。今度は静岡県東部が震源の地震。地震が
連鎖しているのか。日本は一体どうなっているのか。どう
なってしまうのか。離れて住む家族にメールをして安否を
確認。
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2011年3月16日(水)6時25分〜 今日は早めに出社。出社した社員は昨晩の地震について話
している。昨日、家で無塩バターが売っていないことを話
すと、家に使う予定のない冷凍してある無塩バターがある
ことが分かる。出社した無塩バターを探していた女性社員
に渡す。11日の地震以来、普通に食事が出来ていることが
申し訳なく感じられ、昼食に悩む。ただ食べない訳にもい
かず、セブン-イレブンで「こだわり米の塩むすび」と「の
むヨーグルト」を買う。このおむすびが本当に旨く、被災
地ではこのおむすび1個でさえ食べることが出来ないのか
と思うと胸が詰まる。
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2011年3月17日(木)6時45分〜 出社すると、昨日無塩バターを譲った社員からお返しを頂
く。困った時は本当にお互い様だ。今日も24時間営業のス
ーパーを覗くが、今日はカップ麺はゼロ、トイレットペー
パーも皆無。スーパーの若い店員もどこかイライラしてい
るような感じ。よほど「おい兄ちゃん、お客様商売なんだ
から、そんなぞんざいな態度じゃだめだぜ」と言おうと思
ったがやめる。今日も昼は塩むすびにする。仕事中、家族
から「北海道のROYCE'(ロイズ)から荷物が届いた」と
の連絡がある。あぁそうだった。バレンタインデーのお返
しに、ホワイトデー当日の14日に商品が届くように、2月
中に手配をしていたことをすっかり忘れている。というよ
り、14日のホワイトデー自体を失念していた。その手の
CMなども一切流れず、今回は、スーパーなどでも売り場
そのものがなかったのではないかと思う。やはり地震の影
響がこういう部分にも出ている。ROYCE'は14日着で発送
したのだろうが、3日も遅れての到着だった。ROYCE'か
らは到着遅れに関するお詫メールが届いていた。さていよ
いよ今日、計画停電が一部の地域で実施された。会社や自
宅は回避されたが、明日以降どうなるか分からない。再び
社内では停電問題で対応に追われる。ACジャパンの仁科亜
季子親子のCMが3回連続で放送された。同じCMが3回も
連続で流れるのはちょっと見たことがない。ACジャパンに
はクレームも来ているという。
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2011年3月18日(金)6時30分〜 今日も早めに出社。いよいよ今日、計画停電が実施されそ
うな感じ。そう言えば12日以降、スーツとネクタイ姿をや
め、作業しやすい格好で出社を続けている。停電対応のた
め、朝から発電機を会社の設備に設置する作業を進める。
しかし機器が発電機で本当に動くのかどうかは不明。一か
八かだ。だが準備は出来た。
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2011年3月18日(金)9時40分〜 予定より20分ほど遅れたが、ついに計画停電が実施される。
停電が始まった時、社内では「おっ」という声。機器は正
常に動いているようだ。地震以来、社内では節電のため、
エアコンを止め、不要な電気はつけないようにしている。
本当に寒くて不自由だが、被災地の人たちのことを思えば
贅沢は言っていられない。それに社内では、「案外、こん
な感じでもやっていけるものだね」とか、「今までがいか
に必要以上に電気を使っていたかだよね」などと話してい
る。外の電気も信号も全て消えている。外に行く社員には
交通事故にはくれぐれも気を付けてほしい。停電は予定通
り、ぴったり3時間で解消された。会社で本当に停電が実
施されたことで、今週末の3連休の対応を含め、今後につ
いて打ち合わせを行い、検討する。社内でも決定されたこ
とが二転三転するので、会社の一番偉い人に意見というか
文句というか、つまりそういうことをして(言って)しま
う。あぁ、これでまた評価が。夕刻、同僚に愚痴を聞いて
貰う。まぁしかし、とにかく予定は決まった。今週は通常
業務に加え、色々と確認作業などが重なり大変だった。お
まけに社長には食って掛かってしまうし。かなり疲れてし
まった。
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2011年3月19日(土)9時35分〜 スーパーの開店時間に合わせて、家族で買い出しに向かう。
いつもは隣町のスーパーに行くが、暫くはガソリンが足り
ていないことも踏まえ、近場のスーパーを利用することに
する。トイレットペーパーは少々高めの物しか残っていな
かったが、家のストックが少なかったので購入。ガソリン
はまだ足りているので入れない。「買い占め」は避けよう。